人間の精神的な性質(人格)は、少なくとも次の2つを含む段階により形成される。
- 人格の生成 (生まれたときに決定)
- 人格の成長(経験や得られた記憶を元にして変化さる)
1.で得られる人格を「原始的人格」と、2.以降の段階で得られるものを「高等的人格」と呼ぶことにする。この発想は、次の2つの論を完全に否定するものである。
- 人の性格は生まれた時点で決定しており、それ以降変化することはない。変化したように見えたとしても、それは今まで隠れていた性質が現れたに過ぎない。
- 人の性格は記憶に依ってのみ決定される。生まれたときには固有の性質はなく、経験に依ってのみ変化する。
これら2つを否定するものであるがしかし、根拠はない。
人を生まれた時点で状態を固定することも、人格をの全てを測定することも出来ないのだ。
ただ、この発想であれば先に挙げた2つの論の極端さを避けることができ、論じやすいと考える。
例えば、生まれてからの記憶を完全に失った人間がいるとする。A.に従うと記憶を失う前と失った後では、その者の人格は一切変わらない筈である。共通点が多く見られるどころの話ではない。完全に一致するのだから。
想像による個人的な感覚だが、これはあまりに不自然だ。仮に人間のクローンを作ったとすると、(経験に依って変化しないのだから)複数の個体が同じように考え、同じように動くのである。機械的に見れば便利だが、人間として自然だとは思えない。思えないだけだが。
逆に、B.に従ってみる。記憶を失った後は、その後の環境や境遇によって人格が変化するのだろう。優しい人に育てられれば優しく、酷い仕打ちを受け続ければ無抵抗や無気力になったりするのかもしれない。ただしかし、記憶が生まれるまで人格が無いとすると、物事をどのように解釈するのかがわからない。というか、理解することができずに意味としては記憶できないのではないだろうか。やはりこちらも不自然だ。
以上のことからA.の論もB.の論もそれのみでは不適当である。従って、2つの論の不自然さを解消したこの発想が今のところ最も真理に近いのではないかと考える。
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